カナダ州

先住民族とバイキング

現在カナダと呼ばれる土地に最初に人類が入ったのは、今から2万年前のこととされています。アジアからベーリング海峡を渡ってやってきた彼らは、乾や北米インディアンなどの先住民で、現在のカナダでも重要な存在となっている。 その後は紀元1000年頃にバイキングがやってきてニューファンドランド島の北端に住居を構えたものの、定住することはなかった。

インディアン

イギリスとフランスの対立

最初にカナダにヨーロッパ人がやってきたのは、バイキングの到来から500年あまり系可視化1497年。イギリスが派遣したジョン・カボット(John Cabot)が今のニューファンドランド島に到着し、新大陸発見をイギリス政府に報告した。カナダに最初の植民地を作ったのはフランスで、1534年にフランス人のジャック・カルティエがセントローレンス川を探検し、セントローレンス湾沿岸一帯の領有権を主張した。フランスに遅れること約50年、1583年にイギリスがニューファンドランド島を植民地とした。植民地の公益の中心を狙ったのは、当時ヨーロッパ貴族の間で大流行していたビーバーハットの原材料になるビーバーの毛皮だった。17世紀になると、イギリスとフランスによる植民地争奪は熱を帯びる。当時はヨーロッパやアジアで両国の抗争が繰り広げられていた時代で、それがカナダに飛び火した形となった。
1603年にフランスはセントローレンス川中流のケベックを中心に植民地「ヌーベル・フランス(Vouvelle-France)新しいフランス」を建設。1608年にはフランスから派遣されたサミュエル・ド・シャンプラン Samuel de Champlainが現在のケベック・シティに砦を建設し、1642年にはメゾヌーヴが現在のモントリオールにヴィルマリーの街を開いた。
一報イギリスも1670年にハドソンベイ社を創設し、ハドソン湾周辺の統治と交易を担うことになった。こうして植民地支配の抗争は地元の先住民族も巻き込み、各所で武力による小競り合いが行われた。この抗争は1759年にケベック・シティの戦場公園で行われた「アブラハム平原の戦い」でフランスが全面的に敗れ、1763年のパリ条約でイギリスがヌーヴェルフランスを支配することが決定するまでおよそ一世紀近くも続いた。

アメリカの脅威とカナダ連邦の形成

フランスとイギリスの植民地戦争を終えたカナダを待っていたのは、隣の大国アメリカの脅威でした。1775年にアメリカの独立戦争が終わると、カナダはイギリスに中性を誓う人々(ロイヤリスト)を受け入れた。その後、イギリスは北米最後の植民地となる。カナダの維持に力を注ぐこととなる。1791年には植民地全域をアッパー・カナダ(現オンタリオ州)とロウワーカナダ(ケベック州)に2分し、キングストンに首都が置かれた。
19世紀に入ってもアメリカとイギリスの対立は続き、1812年にはついにアメリカがカナダとイギリスに宣戦布告し、2年間にわたる英米戦争が始まった。カナダのオンタリオ州やケベック州でも争うが繰り広げられ、一時はトロンとやモントリオールまでもがアメリカの支配を受ける事態になった。
英米戦争の終結後も、両国間は緊張に包まれる時期を過ごした。イギリス政府はカナダの植民地支配をさらに強化するために、それまで分裂していた各植民地を統合することを決めた。1867年に北米の植民地に自治権を与えるという「英領北アメリカ法」を制定。そしてオンタリオ州、ケベック州、ノヴァ・スコシア州、ニューブランズウィック州の4州からなる自治領カナダが誕生した。

英米戦争

カナダ西部の発展

カナダの西海岸(現ブリティッシュコロンビア州)はヨーロッパに近い東海岸に比べ植民地化したのもあとの時代になる。西部海岸線に最初にヨーロッパ人がやってきたのは18世紀の後半で、本格的な植民地化のきっかけを作ったのは1793年にイギリスからやってきたジョージ・バンクーバー総監 George vancouver。統辞の西部地域の産業といえば、ハドソン・ベイ社の毛皮交易が中心となっていた。西部地域が飛躍的に発展を遂げたのは1860年代にカリブー地域に金脈が発見されて以降のこと。さらに1885年にはバンクーバー近郊のフレイザー川でも金脈が発見される。この「ゴールドラッシュ」により、カナダ東部やアメリカからの多くの人が移動してきたのだ。

現カナダ連邦の形成

当初、4州から始まったカナダ自治領だが、1870年にマニトバ州が、1873年にブリティッシュコロンビア州とプリンス・エドワード・アイランド州、1898年にユーコン準州、1905年にアルバータ州、サスカチュワン州、ノースウエスト準州、そして1949年にニューファンドランド州が加入し、現在のカナダが形成された。
現在のカナダは多くの人種が暮らす多民族国家。また連邦政府のほか各州ごとに独自の法律や公用語も定められており、その地形や歴史により異なる文化をもつ。フランス系、イギリス系、その他数多くの移民たち。そして各地に住む先住民族。各州や異なる人種は今も微妙な緊張感をもちながら、独自の発展を続けている。

カナダの歴史略年表

1000年頃 ニューファンドランド島北部に北欧バイキングが短期間入植(初のヨーロッパ人)
1492 コロンブスがバハマ諸島に上陸
1497 イギリスが生えkんしたイタリア人ジョン・カボットがカナダの東海岸を発見、上陸した島をセント・ジョン島(現ニューファンドランド島)と命名
1534 フランスのジャックルカルティエがガスペ半島に上陸、フランス領土を宣言
1583 ギルバートが、ニューファンドランドにイギリスの海外初の植民地を建設
1604 フランスのシャンプランがアカディア(現ノヴァ・スコシア)に仏領植民地を建設
1608 シャンプラン、ケベック砦を建設
1610 アジアへ抜ける北西航路を探していたヘンリー・ハドソンが大陸北部の湾を発見、内陸探検への足がかりとする
1620 メイフラワー号でいギルスのピュリータンがマサチューセッツに上陸
1627 フランスが「ニューフランス会社」を設立、カナダ支配を任す
1642 メゾヌーヴがモントリオールにヴィルマリーを建設
1670 イギリスが「ハドソン・ベイ社」を設立、大西洋沿岸の開拓に乗り出す
1682 フランスのラ・サールがミシシッピ川流域を探検しルイジアナを開拓
1689 ウィリアム王戦争(~1697年)
1702 アン女王戦争(~1713年)
1713 ユトレヒト条約(ニューファンドラン、アカディア、ハドソン湾岸が英領となる)
1754 フレンチ・インディアン戦争(~1763年)
1763 パリ条約
1775 アメリカ独立戦争勃発、ロイヤリストがカナダへ逃げ込む
1791 イギリス議会、ケベック植民地をオタワ川を境に西のアッパー・カナダと東のロウワーカナダに2分
1812 アメリカがカナダとイギリスに宣戦布告、英米戦争勃発
1837 マッケンジーがアッパー・カナダでパピノーがロウワーカナダで反乱蜂起
1839 反乱鎮圧に派遣されたダラム卿がアッパー・ロウワー両カナダ統合と政治的独立をイギリス政府に勧告
1841 連邦法により、アッパーロウワー両カナダの統合が実現、連合カナダが誕生。
1846 北緯49度をアメリカとの国境に制定
1848 ノヴァ・スコシアに初の責任政府が実現
1859 オタワが首都になる
1864 シャーロットタウン会議、ケベック会議で、連邦結成のための決議採択
1867 英領北アメリカ法発行、カナダ自治領成立、初代首相にJ.A.マクドナルド就任。
1868 ハドソン・ベイ社が連邦政府にルパーツランドを委譲
1869 ルイ・リエルの反乱でマニトバ出身のルイ・リエルを首班にメティスが臨場政府樹立
1870 マニトバ州、ルパーツランドから分離、連邦に加入。
1877 初の日本人移民永野万蔵、カナダに到着
1896 ユーコンのクロンダイクで金鉱発見され、ゴールドラッシュが始まる。
1898 ユーコン準州が成立
1901 マルコーニ、セントジョンズでイギリスからの無線電信を受信
1933 新渡戸稲造、国際会議の帰途ビクトリアで客死
1949 ニューファンドランド州、連邦加入
1976 モントリオール・オリンピック開催
1980 オー・カナダをカナダ国家に制定
1982 1982年憲法発布
1988 カルガリー冬季オリンピック開催
1999 ノースウエスト準州から分離したヌナブト準州が誕生
2010 バンクーバーで2010年冬季オリンピック開催